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【西条昇の吉本演芸コレクション】昭和14年の吉本演芸の名古屋劇場の公演プログラム

手元にある、昭和14年(1939)1月の吉本直営による名古屋劇場での公演プログラム。
次週は、ナゴヤ ヨシモト・ショウ躍進公演「早春交響楽」14景と、軽喜劇第二回公演「聖戦以前」3景で、映画は丹下左膳大会である。
当時、吉本は東京・名古屋・大阪にダンシング・ガールズを含む吉本ショウを持っていた。
現在で言えば、AKB48・SKE48・NMB48のようなチームを傘下に収めていたようなものだろう。
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【西条昇の歌謡曲論】作詞家・作曲家の浜口庫之助の才能について

僕は、日本の歌謡界において、浜口庫之助という人の功績がもっともっと評価されていいと思っている。
作詞と作曲の両方を手掛け、「GS」「演歌」「フォーク」「アイドル」と扱うジャンルが実に幅広く、何より曲調や詞が独特で面白いのだ。
とりわけ、作詞・作曲の守屋浩「僕は泣いちっち」、田代美代子・和田弘とマヒナスターズ「愛して愛して愛しちゃったのよ」、作曲のスリー・キャッツ「黄色いさくらんぼ」などは、この人でなければ作れない面白さがあると思う。
他にも、作詞・作曲では坂本九やジャニーズの「涙くんさよなら」、西郷輝彦「星のフラメンコ」、マイク真木「バラが咲いた」、ザ・スパイダース「夕陽が泣いている」「風が泣いている」、石原裕次郎「夜霧よ今夜も有難う」、にしきのあきら「空に太陽がある限り」、作詞では守屋浩「有難や節」、作曲では青江三奈「恍惚のブルース」、小林旭「恋の山手線」、天地真理「ちいさな恋」、島倉千代子「人生いろいろ」など、名曲揃いである。
また、浜庫さんは、作詞家・作曲家に転身するまで、自ら率いたバンド「浜口庫之助とアフロ・クバーノ」でNHK紅白歌合戦に3年連続出場を果たしているが、その頃のレコードを聴いてみると、編曲のセンスも実に面白いのだ。
中でも、原六朗(この人も異才だが)の作詞・作曲で美空ひばりが歌った「お祭りマンボ」を浜庫さんがアレンジし、女性ボーカルと共に歌っているバージョンを聴くと、この人のユニークな才能が改めて分かるのではないか。
https://youtu.be/p-nhPGkbyaE
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【西条昇のアイドル論】山本リンダとジプシー・ローズのバンプ

日本のストリップ史に名を残すジプシー・ローズは、腰を8の字に動かすグラインドや腰を前後に突き上げるように動かすバンプという技を得意にしたという。
山本リンダはジプシー・ローズから約20年後にテレビのゴールデンタイムの歌番組でバンプをやりまくったのだから、当時のインパクトは相当のものだったろうな。
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【西条昇のアイドル論】山本リンダさんに抱っこしてもらった思い出

僕は、あの山本リンダさんに抱っこをしてもらったことがある。
飯田橋で靴屋をしていた実家からすぐ近くの小池薬局にリンダさんがマネージャーと薬を買いにきたと聞いた僕の母が僕を抱っこしたまま連れて行って、リンダさんに「うちの子が大ファンなんです!」と言ったら、「嬉しい! 抱っこさせて!」と僕を抱っこしてくれたのだ。
その時のことは、あのリンダちゃんの顔がすぐ間近にある照れ臭さと共に今でも良く覚えている。
あれは、昭和41年の「こまっちゃうナ」のヒットから数年、僕がまだ幼稚園に通う前で、昭和47年の「どうにもとまらない」で再ブームとなる前だから、昭和42~43年くらいのことではなかったか。
のちにピンクレディーを大ヒットさせる、作詞・阿久悠と作曲・都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」「狂わせたいの」「じんじんさせて」「狙いうち」「きりきり舞い」は、どれもドキドキするほどの名曲である。
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【西条昇のエンタメ日記】夕涼みをする明治39年のハイカラ美少女の絵葉書

夕涼みをするハイカラ美少女の絵葉書。
明治39年(1906)のもののようだ。
もうハイカラという言葉があったんだな。
「はいからさんが通る」で描かれているのは大正になってからだが。
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【西条昇の浅草レヴュー・コレクション】昭和4年の浅草・水族館での第一次カジノフォーリー第二回公演プログラム

昭和4年(1929)7月23日からの浅草・水族館での第一次カジノフォーリーによる第二回公演のプログラムを入手した。
旗揚げは同年7月10日。
座長格はパヴロヴァ門下のロシアン・ダンサーで生駒歌劇や電気館レヴューにも在籍した石田守衛。
浅草オペラ衰退後は映画俳優を目指すも上手く行かずに実家の麻布の煎餅屋を手伝っていたエノケンが先輩の石田に誘われて参加している。
エノケンはナンセンススケッチやレヴューで笑わせたものの、客足は伸びずに、わずか二ヶ月で解散。
10月26日から今度はエノケンを座長格とした第二次カジノフォーリーがスタートし、梅園龍子、山路照子、三条綾子など当時10代半ば過ぎくらいのダンシング・ガールズも新たに加わった。
同年12月12日から朝日新聞紙上で連載された川端康成の「浅草紅団」の中でカジノフォーリーのことが取り上げられ、一躍、有名に。
翌年6月にはエノケンが脱退して観音劇場で新カジノフォーリーを旗揚げ。その後は玉木座、オペラ館を経て松竹入りし、当時の浅草一の大劇場であった松竹座を根城に浅草を代表する喜劇王として活躍する。
この公演プログラムは演博こと早稲田大学演劇博物館にも保管されておらず、非常に貴重なものと言えるだろう。
もっとも、僕のコレクションは演博に無いものが多いのだが。
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【西条昇のレヴュー・コレクション】昭和6年の占春館での小川大演芸団の公演チラシ

手元にある、昭和6年(1931)の占春館での小川大演芸団の公演チラシ。
〈浅草公園お馴染のエロ舞踊の第一線〉〈一九三一年式の尖端を行く大衆的の芸術〉〈高速度所作事引抜ナンセンスレヴュー〉との惹句。
レヴューと言いつつ、お江戸日本橋やら弥次喜多やらの和物の演目を得意にしていたようで、「音曲」「エロダンス」「清元」「所作事」など和と洋を並べた構成になっている。
昭和4年からの浅草でのナンセンスレヴューの流行に無理矢理乗っかって地方回りをしていたレヴュー団の一つだったようだ。
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【西条昇のストリップ・コレクション】昭和40年前後の岐阜・まさご座のマッチラベル

現存する岐阜県のストリップ劇場のまさご座の昭和40年前後のマッチラベル。
この稚拙なイラストがたまらないな。
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【西条昇のエンタメ日記】神楽坂まつりで阿波おどりを

今日は神楽坂まつりの阿波おどりの日。
神楽坂下から大久保通りまで登る流れと、赤城神社前から大久保通りまで下る流れと。
踊りながら神楽坂通りを登るのは大変だね。
女性陣の掛け声が可愛かったな。
見ている外人たちもノッてました。
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【西条昇の浅草演芸コレクション】戦時中の丸亀劇場での爆笑演芸隊による公演チラシ

手元にある、戦時中の丸亀劇場での爆笑演芸隊の公演チラシ。
〈絶賛完璧無双の民謡と舞踊と漫歳の快笑陣〉との惹句で、メインは〈民謡の麗人 艶麗の名妓〉浅草 喜久奴に、浅草ダンシングチームと称した道楽連と舞踊連による浅草の芸妓衆である。
他に、〈半島出身大日本クレバアー〉〈松前追分の大家〉〈男道楽の芸豪〉〈メチャクチャ万才〉〈コッケイ・ホガラカ万才〉〈音曲道楽万才〉〈半島出身浪曲万才〉〈明朗歌謡ジャズ万才〉〈時局と剣戟のハリキリ万才〉など。
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