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【西条昇の浅草・軽演劇コレクション】コメディアンの浅草陣太さんのインタビューテープ [軽演劇]

数年前に閉館となった西川口テアトルミュージックの座付きコメディアンをされていた浅草陣太さんに1996年に同劇場の楽屋でインタビュー取材をした時のカセットテープ。
もう20年以上も経つのか…。
浅草陣太さんは戦後間もなくターキーこと水ノ江瀧子に弟子入りして劇団たんぽぽへ入り、本名の西澤茂で浅草ロック座での伴淳三郎が座長のショウ東京ロック、浅草フランス座、有楽街夫を名乗っての池袋フランス座を経て、昭和30年代半ばから浅草陣太として浅草座の座付きに。浅草座での舞台を観た五社英雄から声をかけられて五社が演出の何本かのドラマにも出演。その後、西川口テアトルミュージックの座付きとして長く活躍された。
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【西条昇の軽演劇史コレクション】「芸能タイムス」昭和21年4月上旬号と空気座のこと [軽演劇]

手元にある、映画と演劇の情報誌「芸能タイムス」昭和21年4月下旬号。
〝シミキン〟こと清水金一の表紙イラスト。
水の江瀧子一座「劇団たんぱぽ」から分裂して「空気座」が旗揚げされた経緯について空気座主宰の小崎政房が文章を寄せ、劇場案内ページでは浅草六区の花月劇場での空気座の第二回公演、常盤座での水の江瀧子一座と松竹歌劇団の合同公演の情報が掲載されている。
空気座が「肉体の門」の上演で大きな話題を呼ぶのは、この時点から1年4ヶ月後の昭和22年8月の新宿・帝都座五階劇場でのことだった。
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【西条昇の軽演劇史コレクション】敗戦から半年後の渋谷・東横デパート内の6つの劇場の広告 [軽演劇]

手元にある、昭和21年2月の藝能タイムスの渋谷・東横3階4階劇場の広告。
当時、渋谷・東横デパートの3階に3つの映画館、4階に3つの実演劇場があった。
4階の第一劇場は〝ばんじゅん〟(伴淳三郎)の軽喜座、第二劇場は東横有名會、第三劇場は漫才と漫藝の東横爆笑會。
敗戦から半年…。まだ、デパートとして売る物が少なかった時代に、芸能を売っていたのだ。
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【西条昇の軽演劇史コレクション】「芸能タイムス」昭和21年2月上旬号 [軽演劇]

手元にある、劇場と映画の情報誌「芸能タイムス」昭和21年2月上旬号。
表紙イラストは、元 松竹少女歌劇のスターで当時は劇団たんぱぽの座長であった〝ターキー〟こと水の江瀧子だ。
劇場案内に掲載された実演の劇場は、日比谷の帝国劇場、邦楽座、有楽座、日本劇場、築地の東京劇場、新宿の新宿第一劇場、浅草の大勝館、常盤座、金龍劇場、花月劇場、松竹座、松竹新劇場である。
のちの「男はつらいよ」シリーズで初代〝おいちゃん〟役を演じた森川信が場内放送室というページに文章を寄せている。
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【西条昇の喜劇史研究】大宮敏光・主演の東映映画「デン助の陽気な拳闘王」 [軽演劇]

昭和33年12月公開のデン助こと大宮敏光・主演の東映映画「デン助の陽気な拳闘王」のポスター。
「デン助の陽気な靴みがき」に続く東映〝デン助〟シリーズの一篇である。
子役時代の松島トモ子、〈ニュースター〉佐久間良子、日劇ミュージックホール出身の奈良あけみ、喜劇人では岸井明や杉狂児、プロボクサーの小林久雄らが出演。
〈笑って暮せば此の世はバラ色!!江戸っ子パンチ・デン助は強い!!〉。
当時の大宮はデン助劇団の座長として浅草松竹演芸場などに常時出演しながら、TV各局に冠番組を持ち、映画にも主演するという忙しさで、高校生だった萩本欽一が弟子入りを考えたのもこの頃であった。
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【西条昇の東京喜劇史研究】平成元年の黒木香さんと杉兵助さんの対談記事 [軽演劇]

手元にある、「週刊ポスト」平成元年4月7日号の黒木香さんと杉兵助さんの対談記事。
題して、「黒木香のおスケベ対談」〈杉兵助の「性豪談」女房六人 味くらべ〉。
杉兵助さんと言えば、戦前の浅草オペラ館で役者となり、戦後はストリップ一座のコメディアンとして各地を周り、渋谷 道頓堀劇場でコント赤信号や中村ゆうじさんやコント山口くんと竹田くんの山口さんやダチョウ倶楽部の肥後さんら多くのお弟子さんを育てられた方だ。
僕は浅草松竹演芸場の関敬六劇団での杉さんの喜劇演技を楽しみに毎公演、通っていた。
当時の黒木香さんも知的かつ痴的な面白さが際立っており、大好きな方だったな。
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【西条昇の喜劇史コレクション】昭和18年の清水金一 新生喜劇座の公演パンフ [軽演劇]

手元にある、昭和18年6月の角筈の新宿第一劇場での清水金一 新生喜劇座の公演パンフ。
この時はシミキンの師匠である柳田貞一が東宝エノケン一座より特別出演。
〈こぞって進め生産戦! アッツ魂で戦ひ抜かう〉〈続け一億山本魂! 米・英撃滅銃後の力で〉といった標語が掲載される中、演目の題名も「銃後すしや合戦」「新篇坊ちゃん一篇 大陸の風」「新篇坊ちゃん二篇 東亜の曙」と戦時色の強いものばかりであった。
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【西条昇の上方喜劇史研究】昭和33年のOSミュージックの公演パンフ [軽演劇]

昭和33年1月のOSミュージック「初笑いヌード・デラックス」(作・演出 花登筺)のパンフより。
コメディアンとして、東洋興業の舞台から大阪に来た立原博、三浦策郎に加え、芦屋雁之助・小雁、更に東京からのゲストのE・H・エリックと世志凡太が出演。面白そうだなあ。
この3ヶ月後から「やりくりアパート」のテレビ放送がスタートし、一躍、花登ファミリーはテレビ・コメディー界の寵児となるが、OSミュージックのトップ・コメディアンだった立原博は「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」などの花登ファミリー番組のレギュラーに加わることなく「立っちゃんお笑い劇場」など独自の道を行った。
この少し前の大阪ではOSミュージックの立原博、北野劇場の佐々十郎、南街ミュージックの茶川一郎という東宝の劇場所属の三人のコメディアンが「お笑い三人男」と言われていた。ここから、立原が抜け、大村崑と芦屋兄弟が加わって花登ファミリーが形成されている。
また、新宿フランス座から来た三浦策郎も立原と並ぶ看板だったが、花登ファミリーでは大村や芦屋兄弟を立てる脇役として活躍した。
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【西条昇の浅草レヴュー史コレクション】たけしの師匠・深見千三郎が出演していた戦前の浅草・オペラ館のパンフ [軽演劇]

手元にある、昭和17年8月の浅草・オペラ館「ヤパンモカル」の公演パンフ。
かつて座長格だったシミキンこと清水金一はすでに居らず、ずっと後にフランス座でビートたけしの師匠となる深見千三郎(当時は深美千三郎)が佐山俊二らと共に活躍していた。
当時の深見と佐山の絡みを観てみたかったな。連日、オペラ館に通っていた永井荷風は当然、観ていたのだろう。
掲載された〈屠れ米・英 我等の敵だ!!〉という標語が時代の空気を感じさせる。
オペラ館には〝レヴュウ劇場〟との肩書きがあったが、レヴューの本場であるフランスは2年前に日本の同盟国であったナチス・ドイツに占領されていたため、日本でのレヴュー上演が認められていたのだ。
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【西条昇の喜劇映画史研究】石井均・主演「カメラ・トップ屋 お色気無手勝流」 [軽演劇]

昭和36年公開の石井均のニュー東映での主演映画「カメラ・トップ屋 お色気無手勝流」のポスター。
石井均の〝カメラ・トップ屋〟シリーズには同年公開の「お嬢さんが狙ってる」もある。
石井均は新宿フランス座で頭角を現し、劇団 笑う仲間を経て石井均一座を結成。間もなくテレビや映画に一座でのユニット出演を果たした。
のちに「てんぷくトリオ」のメンバーとなる戸塚睦夫は一座の副座長格として、伊東四朗は当時の芸名の伊藤証(一等賞のモジリ)で出演している。
喜劇人では他に、トニー谷、泉和助、武智豊子らも出演。
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