So-net無料ブログ作成
浅草六区 ブログトップ
前の10件 | -

【西条昇の浅草食べ歩き】花やしき通りの串カツ りょう [浅草六区]

昨夜は鷲神社の二の酉へ向かう前に、花やしき通りの串カツ りょうで、ドライカレー串カツ、半熟うずら串カツなどの創作串カツと煮込み、鶏ぞうすいなどを。
僕的には紅しょうがの串カツが一番の好みだな。
2017-11-18T17:11:10.jpg2017-11-18T17:11:10.jpg2017-11-18T17:11:10.jpg2017-11-18T17:11:10.jpg2017-11-18T17:11:10.jpg2017-11-18T17:11:10.jpg

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

【西条昇の喜劇コレクション】浅草・金龍館での朗ショウのチラシ [浅草六区]

手元にある、昭和10年代後半の浅草・金龍館での朗ショウと松竹爆笑漫才の公演チラシ。
朗ショウの座長の高屋朗は田谷力三門下から〝がま口〟と言われた口の大きさと歌詞の語尾に「♪チンガラマンガラホイ」と付けて歌う漫唱が売りだった喜劇人で、漫才陣の中の荒川小芳・林家染寿は内海好江の両親である。
2017-11-12T13:53:09.jpg

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:お笑い

【西条昇の浅草浮世絵コレクション】2代 歌川国貞の「浅草奥山桜花盛之図」 [浅草六区]

手元にある、2代 歌川国貞(梅蝶樓国貞)による「浅草奥山桜花盛之図」。
安政4年(1957)の作である。
桜の時期の浅草奥山の賑わいが伝わってくるね。
2017-09-24T02:16:35.jpg

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

【西条昇の浅草浮世絵コレクション】歌川国芳が描いた浅草寺境内の軽業興行の浮世絵 [浅草六区]

手元にある、歌川国芳(一勇斎国芳)が描いた山本小嶋による浅草寺境内の軽業興行の浮世絵。
〈山本小嶋 若太夫 山本梅吉 浅草御境内ニおゐて興行仕候〉。
安政2年(1855)頃のものか。
2017-09-23T18:56:03.jpg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能

【西条昇の浅草エンタメ日記】花やしき通りの「串かつ りょう」で中島洋子さんとたけしさんの番組の鑑賞会を [浅草六区]

昨日は、たけしさんと同じ深見千三郎門下でNHK BSプレミアム「たけし誕生~オイラの師匠と浅草~」にインタビュー出演された中島洋子さんと共に、浅草花やしき通りにある中島さんの息子さんのお店「串かつ りょう」で、番組の放送を鑑賞しました。
2017-09-21T07:30:47.jpg2017-09-21T07:30:47.jpg2017-09-21T07:30:47.jpg

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:お笑い

【西条昇の女剣劇コレクション】戦前の浅草・松竹座での不二洋子一座の公演プログラム [浅草六区]

僕の手元には、昭和12~19年にかけての女剣劇の不二洋子一座の浅草・松竹座での公演プログラムが80部以上あり、更に浅草・公園劇場での物も30部以上ある。
現在のROXのところにあった浅草・松竹座は昭和12年に国際劇場が出来るまでは浅草で最も大きい劇場であった。昭和3年までは歌舞伎と新派の公演が中心で、昭和6、7年からターキーの居た松竹少女歌劇とエノケンのピエル・ブリアントの本拠地となっていたが、松竹少女歌劇は昭和12年から国際劇場に本拠を移し、エノケンは昭和13年に東宝に引き抜かれて浅草を去っている。
その頃から、同じ松竹の公園劇場での剣劇大会の中心を担っていた不二洋子一座が松竹座での一枚看板による公演を行うようになり、敗戦前まで松竹座を本拠地として多くの観客を集め続けた。
ライバルの初代・大江美智子は昭和14年に急逝し、二代目・大江美智子が昭和17年から松竹座に進出したが、松竹座での公演回数は不二洋子一座のほうが圧倒的に多い。
浅草芸能史においても、戦前の不二洋子の功績と人気ぶりについて再評価する必要があるだろう。
2017-09-08T11:17:44.jpg2017-09-08T11:17:44.jpg2017-09-08T11:17:44.jpg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

【西条昇のこれまでの仕事シリーズ】「東京人」98年8月号の特集「浅草は、笑いの王国だ。」企画・構成を担当 [浅草六区]

「東京人」1998年8月号では特集「浅草は、笑いの王国だ。」の企画・構成を担当。
「喜劇王たちの楽天地」執筆のほか、萩本欽一、丘さと志、浅草陣太、海野かつをへのインタビュー、小沢昭一と清川虹子の対談の司会、浅草喜劇&レビュー一座相関図と浅草オールスター人名辞典の作成も行った。
2017-09-02T14:13:06.jpg2017-09-02T14:13:06.jpg2017-09-02T14:13:06.jpg2017-09-02T14:13:06.jpg2017-09-02T14:13:06.jpg2017-09-02T14:13:06.jpg2017-09-02T14:13:06.jpg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能

【西条昇の浅草エンタメ日記】浅草サンバカーニバルへ [浅草六区]

昨日は夕方から浅草サンバ・カーニバルへ。
友人が朝から取っていてくれた最前列に座ってビール飲みつつ観戦。
出場している友人知人が前を通るたびに大興奮で応援を。
2017-08-27T12:09:54.jpg2017-08-27T12:09:54.jpg2017-08-27T12:09:54.jpg2017-08-27T12:09:54.jpg2017-08-27T12:09:54.jpg2017-08-27T12:09:54.jpg2017-08-27T12:09:54.jpg2017-08-27T12:09:54.jpg2017-08-27T12:09:54.jpg2017-08-27T12:09:54.jpg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

【西条昇の浅草ストリップ・コレクション】昭和25年に東劇の歌舞伎と並んで読売新聞に掲載された浅草ロック座の広告 [浅草六区]

昭和25年5月の読売新聞の浅草ロック座の広告。
永井荷風がロック座のために書き下ろした戯曲「渡り鳥いつ帰る」の他、吾妻京子やハニー・ロイらが出演のロック・バーレスク・ショウ「好色タイム」、決死の舞台「銀粉の裸女」など。
左隣には東銀座の東劇での東西合同大歌舞伎の広告が。
東京大空襲で焼失した歌舞伎座が翌26年に再建されるまでは東劇が東京の歌舞伎の中心だったから、今で言えば歌舞伎座とロック座の広告が同じスペース同じ扱いで読売新聞に掲載されるようなものなのだ。
2017-08-16T21:01:46.jpg

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能

【西条昇のストリップ研究】浅草ロック座の創立日の誤りについて [浅草六区]

今年で創立70周年に当たる浅草ロック座は1947年8月15日の創立と書かれることが多かった。Wikipediaにもそう書かれている。
しかし、1947年8月12日発売の「スクリーン・ステージ」には浅草ロック座は「八月一日開館」と書かれ、開館当日の花輪が並ぶロック座の外観写真も掲載されているのだ。
演目は丸木砂土(秦豊吉のペンネーム)演出の帝都座ショウ「浅草 夏の踊り」。
8月15日からは前日まで新宿・帝都座で大当たりをとっていた空気座の「肉体の門」が上演されている。
2017-08-09T16:42:11.jpg

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能
前の10件 | - 浅草六区 ブログトップ