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【西条昇の演芸史コレクション】戦前の金春演芸部の広告 [演芸]

手元にある、戦前の金春演芸部の広告。
〈餘興の御用命はおなじみの金春演芸部へ〉。
〈演芸の御契約は如何様にも御相談に応じます〉。
取り扱い演目は、奇術、浪曲、漫才、舞踊、寸劇、喜劇、曲芸、講談、珍芸、剣舞、ショウ、二∞加、紙切、落語、漫談、剣劇、歌謡曲、其他。
住所は大阪市東区。イラストはトランプ・マジックである。
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【西条昇の上方演芸史コレクション】昭和40年前後の道頓堀・角座のプログラム [演芸]

手元にある、昭和40年前後の6月上席の道頓堀・角座のプログラム。
トリの宮川左近ショウは、宮川左近、暁輝夫、松島一夫、高島一夫の4人時代のものだ。
中座に出演のジョウサンズは、日吉川秋月嬢、河知キク子、雲井千賀子のトリオから雲井が抜けてアコーディオンの日吉川良子が加わったと若手紹介欄に書かれている。日吉川良子は、のちの二代目 桂枝雀夫人である。
また、若手紹介欄で〈二人とも十代の若さ!〉と書かれてている若井ひとみ・こずえは、のちに若井小づえ・みどりに改名している。
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【西条昇の演芸史コレクション】渋谷・東横寄席のプログラム [演芸]

29歳で没した湯浅喜久治が東横落語会と共に渋谷の東横ホールで企画製作していた東横寄席のプログラム。
舶来寄席とも言うべき、和洋の芸の名人を並べたバラエティー・ショーである。
ダークダックスの歌に始まり、上原真佐喜の社中による箏曲、雁玉・十郎の上方漫才、タンゴ、京舞に続き、森繁久彌の「いんちき」、ペギー葉山、中村八大、平岡精二クインテットらによるジャズがトリを取るという構成。
湯浅は何でも一流好みだったそうだが、美術は朝倉摂、音楽は中村八大、プログラムの表紙カットは木村荘八が担当している。
ホール落語における功績も大きいが、僕としては、湯浅のこうした仕事を見てみたかった。
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【西条昇の演芸史コレクション】戦前の神楽坂演舞場のプログラム [演芸]

手元にある、昭和18年5月の神楽坂演舞場のプログラム。
ここはもともと神楽坂演芸場であったが昭和10年に演舞場となり、長く矢来町に住んでいた柳家金語楼のホームグラウンド的な寄席として知られていた。
戦中には東宝直営になっている。
この時のプログラムは東宝笑和会という催しで、柳家小きん時代の五代目・柳家小さん、六代目・三遊亭圓生、二代目・桂小文治、五代目・古今亭志ん生、七代目・林家正蔵、六代目・春風亭柳橋が出演している。
もし、ここに爆弾が落とされていたら、昭和の落語界はどうなっていたか。
僕は神楽坂に近い飯田橋の富士見町生まれだったから、良く父親と神楽坂を歩く度に「ここが神楽坂演舞場のあったところだよ」と教えてもらっていた。
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【西条昇の演芸史コレクション】京都の寄席「富貴」のプログラム [演芸]

手元にある、昭和27年5月の京都・新京極の寄席「富貴」のプログラム。
漫才や落語、歌謡曲、歌舞伎舞踊などの他に、東京から大宮敏光率いるデン助劇団が出演。
漫才の千守歌子・人生香朗の香朗は、のちの人生幸朗だろう。
歌謡曲コーナーの司会の藤間林太郎は藤田まことの父親である俳優の藤間林太郎と同一人物か。
次週予告の漫才大会には、芦乃家雁玉門下時代の芦の家雁之助・小雁の名前も。
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【西条昇の演芸史コレクション】昭和40年前後の高松市農業感謝祭の余興プログラム [演芸]

手元にある、昭和40年前後の高松市農業感謝祭の余興プログラム。
第1部が万才と殺陣と冗談歌謡、第2部は青春スターパレード。
第1部は、司会 音羽あきら、漫才 宮田陽司・昇司、殺陣 坂田耕造と武劇会、冗談歌謡 長田あつしとファンキーガイズという顔ぶれ。
ファンキーガイズは殿さまキングスの前身のコミックバンドで、リーダーの長田あつしにより昭和35年に結成され、同42年に殿さまキングスが結成されるまで活動した。
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【西条昇の演芸史コレクション】博多・川丈座での東京名人会のビラ [演芸]

手元にある、博多・川丈座での東京名人会のビラ。
出演は講談の旭堂南慶、新内の富士松加賀太夫、吾妻路宮古太夫、落語の三代目・三遊亭金馬、曲芸の丸一小仙一派。
〈江戸藝術の生粋を誇る〉との惹句もデザインもカッコ良いな。
川丈座は戦後、長らくストリップ劇場として続いていた。
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【西条昇の演芸史コレクション】戦前の新宿 帝都座演芸場のプログラム [演芸]

手元にある、昭和10年代後半の新宿 帝都座演芸場のプログラム。
落語 柳家小きんはのちの五代目 柳家小さんだ。
時局漫才 小林美律子・坂野比呂志の坂野は活動弁士、浅草のレヴュー俳優を経て漫才を組み、戦後はバナナの叩き売りや物売り口上などの大道芸で活躍。
日活映画の封切り館だった帝都座の五階はダンスホールだったが、昭和15年には秦豊吉が社長の東京宝塚劇場(のちの東宝)の経営下に入り、東宝小劇場の姉妹館の位置付けで演芸場に。
昭和22年1月には、秦の発案でレヴュー劇場となり、初めて上半身裸の女性が舞台に登場した〝額縁ショウ〟が上演されて話題になった。
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【西条昇の上方喜劇史研究】昭和32年の浅草・国際劇場でのミヤコ蝶々・南都雄二らの「東京の人よ こんにちは」の公演パンフ [演芸]

手元にある、昭和32年3月の浅草・国際劇場でのミヤコ蝶々・南都雄二、夢路いとし・喜味こいしら上方演芸のメンバーが出演の「東京の人よ こんにちは」の公演パンフ。
作・構成は宝塚新芸座に続いて上方演芸を率いていた秋田実である。
他に小坂一也とワゴンマスターズ、松竹歌劇団が出演。
蝶々・雄二もいとし・こいしも大阪では「漫才学校」などで人気が定着していたが、東京ではさほど知られていなかった頃と言えるだろう。
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月亭可朝師のご冥福をお祈り致します [演芸]

月亭可朝師匠が先月28日に亡くなれていたとのこと。
林家染丸に入門後間もなく破門され、桂米朝門下に移った可朝師はカンカン帽とチョビ髭にギターを抱えた「嘆きのボイン節」で売り出した。
可朝、仁鶴、三枝は吉本の若手落語家三羽烏として映画にも主演している。
昭和46年には「新婚さんいらっしゃい!」のメイン司会(桂三枝は当初、サブ司会)を務めたが、参議院選挙に「一夫多妻制の確立」「風呂屋の男湯と女湯の仕切を外すこと」を公約として突然立候補したため、番組開始5ヶ月で降板し、選挙も落選。
この時、参議院選挙の全国区に立候補した立川談志師の大阪での応援演説に可朝師が来る予定だったが、TVをつけると可朝師自身が立候補の記者会見をしていたという。
談志師匠はこの時の可朝師の行動を「凄いねえ」「偉いねえ」と後年まで面白がっていた。
僕が構成をしていた演芸バラエティー番組に可朝師に出演してもらい、「だっちゅーの!」のパイレーツの二人とトップレスのモデル数人に囲まれつつ「嘆きのボイン節」を歌って頂いた。
謹んで、ご冥福をお祈り致します。
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