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【西条昇のストリップ・コレクション】70年前の額縁ショウ「ヴィナスの誕生」に出演した中村笑子の写真

昭和22年1月の新宿・帝都座五階劇場での額縁ショウでボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」のポーズをとった日劇ダンシングチームの中村笑子は、同チームの創設者で帝都座ショウの仕掛人である秦豊吉の説得にも関わらず、舞台では手で胸を覆い、胸を露出することはなかった。
次回公演のパンフには貝殻のセットの上で手で胸を隠してポーズをとる中村笑子の写真が小さく載っている。
2月公演「ル・パンテオン」では甲斐美春が額縁の中で胸を露出し、この流れが翌年から浅草を中心にストリップ・ショーとして華開くこととなる。
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【西条昇の浅草食べ歩き】麦とろの3種のとろろバイキングへ

昨日は、久しぶりに浅草・麦とろの3種のとろろ2000円バイキングへ。
スカイツリー眺めつつ、90分ひたすら食べまくり。
麦飯と味付けとろろとマグロを合わせるのが僕の好みだな。
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【西条昇の神楽坂食べ歩き】中華そば 田中屋で山形辛味噌らーめんを

このところ行きつけの神楽坂の中華そば 田中屋では、いつも肉そばの背脂こってり一択なのだが、珍しく山形辛味噌らーめんを。
赤い辛味噌を溶かしつつ、更に卓上の特製唐華で辛さをプラス。
これも旨いけどね、次回はまた肉そばかな。
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【西条昇のレヴュー・コレクション】昭和4年の大阪・春日座でのタチバナ・フォーリーのチラシ

手元にある、昭和4年7月の大阪・春日座での映画とレヴューのタチバナ・フォーリーのチラシ。
〈専属先に東都浅草に於てレヴュウ ボードビルの本格として颯爽たる好評を得たるレヴュウ タチバナ、フォーリーの来演〉とのこと。
同じ昭和4年7月には浅草で第1次カジノフォーリーが旗揚げされている。
昭和2年の宝塚少女歌劇団による日本初のレヴュー「モン・パリ」の上演で巻きおこった一種のレヴュー・ブームの流れの中で生まれた一座の一つだろう。
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【西条昇の浅草歌舞伎コレクション】文久2年の猿若三座 役者藝評

手元にある、文久2年(1862)の「猿若三座 役者藝評 楽屋廻四拾八癖 一名芝居虫眼鏡」。
当時の猿若町にあった中村座、市村座、守田座の人気歌舞伎役者たちの給金の額から藝評までが一覧表的に書かれている。
多少の虫喰いはあるが、今から155年前のものとしては、かなり綺麗な状態と言えるだろう。
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【西条昇のアイドル論】オープンキャンパスの模擬講義、無事終了しました

今日の江戸川大学オープンキャンパスでのマスコミ学科「アイドル論」の模擬講義には、お陰様で多くの方にご来場いただくことが出来ました。ありがとうございました。
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【西条昇の女優論】冨士眞奈美

花登筺ドラマ「細うで繁盛記」で新珠三千代扮する主人公の加代を静岡県でイビりまくる正子役が当たり役となった冨士眞奈美。
若い時は…可愛いよね。
「おくさまは18歳」で石立鉄男の高木先生が岡崎友紀扮する高校生の飛鳥と結婚しているとは知らずに好意を寄せる渋沢民子先生役では、コメディエンヌぶりを発揮。
「細うで繁盛記」も「おくさまは18歳」も同じ昭和45年にスタートしており、どちらの役も眼鏡をかけていた。
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【西条昇の浅草喜劇コレクション】大正3年の曽我廼家五一郎の挨拶絵葉書

手元にある、曽我廼家五一郎が浅草・世界館に進出して一周年の大正3年の挨拶絵葉書。
五一郎は、「ノンキナトウサン」で知られる曽我廼家五九郎の一座で〆太と名乗っていたが、やがて独立して五一郎一座を旗揚げ。大正から昭和初期にかけて、世界館、三友館、江川劇場、金龍館などを根城に、五九郎のライバルとして覇を競った。
一時は江川劇場とオペラ館の経営権も手に入れ、六区の近くに五一郎アパートを経営。高見順はここの部屋を借りて「如何なる星の下に」を書いた。
先日、浅草ブレーメンハウスの浅草文芸展で講演をした際、五一郎の孫にあたる方が来て下さった。
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【西条昇のレヴュー・コレクション】昭和14年の帝国劇場での松竹楽劇団の公演パンフ

手元にある、昭和14年3月の帝国劇場での松竹楽劇団「桜をどり スプリング・ゴーズ・ラウンド」の公演パンフ。
松竹楽劇団は、東宝の日劇ダンシングチームに対抗して、当時、松竹傘下にあった帝国劇場の専属として実演のショーを上演していた男女混成レヴュー団である。
大阪松竹少女歌劇から笠置シヅ子(前名は三笠静子)が参加し、ここで作編曲を担当していた服部良一と出会ったことで、スイング調の「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」など、戦前の服部・笠置コンビの名曲が生み出された。
戦後間もなく大ブームとなった服部・笠置コンビの一連のブキウギ曲は、松竹楽劇団時代の二人の作品が原点になっているのだ。
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【西条昇の浅草芸能コレクション】明治6年に浅草寺境内で興行されたフランスのスリエ・サーカスの絵ビラ

明治6年(1873)1月に浅草寺境内で興行が行われた「佛国曲馬 CIROUE SOULIE」の絵ビラを入手した。
明治4年からフランス人のスリエが主宰するサーカス団の興行が日本各地で行われ、大評判となっていた。
仮名垣魯文による口上文もある。
浅草っ子たちは初めて見る西洋のサーカスに驚いたに違いない。
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