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【西条昇の往年の浅草六区写真と同じ場所の現在をほぼ同じ角度から撮ってみたシリーズ1】 [浅草六区]

明治43年(1910)8月の大洪水の際の浅草オペラ館前の絵葉書と、平成27年(2015)11月29日の三の酉の日の旧・オペラ館前。
戦後、オペラ館の跡地はいくつかの商店に分割され、現在の六区ブロードウェイの通りに面した場所には「レディースウエア ながさわ」があり、少し前からシャッターが下ろされたままになっていたが、内装工事に取りかかるようだ。
もともと、この三角形の土地には都踊りの日本館があったが、現在のマクドナルドの入ったROX 2Gの場所への移転に伴い、明治42年(1909)5月にオペラ館として開業した。
浅草オペラ館という名称から浅草オペラを上演していた劇場というイメージがあるが、浅草オペラ全盛期は、土屋松濤を主任弁士とした新派悲劇調の活動写真の小屋だったのだ。
関東大震災後の大正末期に森歌劇団として浅草オペラの残党がオペラ館で公演をした時期があったが長続きせず、浅草劇場に改称して再び映画館に。
昭和6年(1931)12月にオペラ館という名称に戻し、榎本健一と二村定一による「ピエル・ブリヤント」を常打ちとしたレヴュー劇場となるが、昭和7年(1932)7月にエノケンらが劇団ごと松竹に引き抜かれてオペラ館を去ると、新たにレヴュー劇団「ヤパンモカル」を旗揚げ。第9回公演から、かつての浅草オペラの大スターである田谷力三が座長に迎えられた。田谷によるオペレッタ的な演目が上演されることもあったが、あくまで演目の主体はレヴューであり軽演劇であった。
昭和11年(1936)からシミキンこと清水金一が座長となり、昭和12年末にオペラ館のヤパンモカルを観た永井荷風が新聞紙上で激賞。
昭和13年(1938)5月には永井荷風・作の新作歌劇「葛飾情話」がオペラ館で上演されている。
戦時下にあった昭和19年(1944)3月末の公演を最後にオペラ館は強制的に取り壊された。
オペラ館最後の公演の日の様子は、荷風の断腸亭日乗に詳しく記録されている。
今、ながさわと甘栗店(以前はオペラ靴店)の間の路地を入って、旧・オペラ館裏の翁そばや300円やに向かう時、往年のオペラ館のステージの様子をふと想像して、複雑な気分になることがある。
11月30日の月曜に前を通りかかったら、いよいよ、ながさわの入った1階の工事が始まっている様子だった。何になるのだろうか。
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