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【西条昇のコント史研究】昭和9年の宝塚歌劇「ヂャブヂャブ・コント」マッチラベルとコントの歴史 [レヴュー]

手元にある、昭和9年8月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇雪組のノンストップ・レヴュウ「ヂャブヂャブ・コント」のマッチラベルを見て、日本の舞台芸能で最初に「コント」という言葉を使ったのは喜劇・演芸のジャンルではなく宝塚歌劇だったという思いを強くした。
〈コント〉はもともとフランス語で短編小説を意味し、戦前の日本ではユーモアやウィットに富んだ短編小説として理解され、当時刊行された「コント集」と題した書籍は舞台演芸としてのコント台本集ではなく、いわゆるユーモア短編小説集であった。
舞台芸能としての笑わせる寸劇のことは、昭和4年のエノケンたちの「カジノ・フォーリー」以来、〈ナンセンス・スケッチ〉と銘打たれていた。
日本のストリップ誕生のキッカケとなった「額縁ショウ」が生まれた昭和22年の新宿・帝都座での「帝都座ショウ」でコメディアンの山田周平らがダンスや歌の景の間に演じた景も〈ナンセンス・スケッチ〉と題されていた。
それが本格的なストリップ全盛期に入った昭和20年代後半あたりから幕間の笑わせる寸劇が「コント」と言われるようになり、ストリップ劇場出身の由利徹・八波むと志・南利明による「脱線トリオ」が出演した昭和31年スタートの「お昼の演芸」の脱線コントをキッカケに演芸としての〈コント〉という言葉が全国的に定着していったのだ。
宝塚歌劇団は昭和2年の「モン・パリ」以来、フランスの〈レヴュー〉という芸能ジャンルを採り入れており、フランスつながりで「コント」という言葉を使ったのだろう。
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