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【西条昇の芸能史コレクション】「藝能画報」昭和28年12月号 [喜劇]

手元にある、「藝能画報」(国際写真通信社)の
昭和28年(1953)12月号。
表紙の写真は津島恵子だ。
グラビアの〈藝能百撰〉ではエノケンこと榎本健一の写真と共に、「帝都座ショウ」「帝劇ミュージカルス」の仕掛人として知られた秦豊吉がエノケン評を寄せている。20180923_075530.jpg20180923_075538.jpg
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【西条昇の喜劇映画史コレクション】高勢実乗の主演映画上映中の上野日活週報 [喜劇]

手元にある、昭和11年(1936)の上野日活週報。
表紙写真は、次週上映のチョン髷トーキー「半ンぺいさんはお人好し」に出演の大辻司郎と高勢実乗。
ユーモラスな活動弁士から喜劇俳優に転向して初期の「笑の王国」で活躍した大辻が主演。
鼻から垂らした髭や独特のメイクと「あーのね、おっさん、わしゃ、かなわんよう」のキメゼリフで一世を風靡した〈アノネノオッサン〉高勢が東宝に移籍する2年前のものだ。
同じく次週上映は、〈東西喜劇王 顔合せ〉として杉狂児と高勢が共演した「細君三日天下」で、こちらには〈おていちゃん〉こと沢村貞子も出演している。
ちなみに、アニメ「ハクション大魔王」の魔王の「わしゃ、かなわんよう」というフレーズの元ネタは高勢だが、製作者の中にアノネノオッサンが好きだった人が居たのかな。20180810_204022.jpg20180810_204025.jpg
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【西条昇の寅さん映画出演の思い出】出川哲朗くんと一緒に出演した「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」 [喜劇]

僕が24歳の時に出演した昭和63年12月公開の「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」。
冒頭の主題歌が流れる場面、この動画では0:20~0:59まで、小諸と書かれた半纏を着たお祭りの若い衆役の僕が映っている。
渥美清さん扮する寅次郎が小諸のお祭りの露店で関敬六さん扮するポンシューと共にスポーツシューズを売っていると、笹野高史さん扮する男が試しにスポーツシューズを履かせて貰ったまま走って逃げてしまう。
それを追いかけるのが、お祭りの若い衆役の僕と出川哲朗くんである。
この動画では編集されて映っていないが、実際にはこの後に、走って逃げる笹野高史さんを路地を曲がって後ろ姿で追いかける場面があり、すでに出川くんの方が先に走っていて、僕はスタミナが切れはじめて路辺にいる人の飲み物を走りながら貰ったりしている。
撮影の合間には渥美清さんから「兄さんは普段は何してるんだい?」と寅さん口調そのままで話しかけてもらい、少し立ち話をした。
この撮影では、11月の週末に出川くんと一緒に呼ばれて小諸まで行き、カメリハをしたものの天候が崩れて撮影が出来ずに一度東京に戻り、また次の週末に再び小諸に行って撮影したものだ。
小諸では寅さんが泊まりそうな古い旅館に出川くんと同室で泊まっていた。
出川くんとは、この映画の前にも、昭和61年8月公開の「キネマの天地」と同63年8月公開の「ダウンタウン・ヒーローズ」といった山田洋次監督の映画に一緒に出演しており、いくつかの場面に顔を出している。
https://youtu.be/PoyEvJQ9tZE
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【西条昇の上方喜劇史研究】昭和63年の「パペポTV」の中に出てくる松竹新喜劇と吉本新喜劇の話 [喜劇]

昭和63年(1988)8月8日に放送された「鶴瓶 上岡 パペポTV」。
とりわけ、9:05あたりから14:43あたりまで松竹新喜劇と吉本新喜劇の話をしているくだりが面白いな。
松竹新喜劇では藤山寛美、渋谷天外、曽我廼家明蝶、曽我廼家鶴蝶、酒井光子、千葉蝶三朗、吉本新喜劇では間寛平、岡八郎、中山美保、藤井信子、藤里美、守住清、白羽大介、奥津由三らの名前が出てくる。
https://youtu.be/6m6Jk3fNUf0
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】昭和35年の松竹新喜劇の京都・南座公演のプログラム [喜劇]

手元にある、昭和35年1月の京都・南座での松竹新喜劇の公演プログラム。
渋谷天外(二代目)、曽我廼家明蝶、曽我廼家五郎八、石河薫が中心。天外と共に松竹家庭劇、松竹新喜劇を支えてきた曽我廼家十吾は同31年に退団し、翌32年に第2次 松竹家庭劇を旗揚げ。
同34年にスタートしたテレビ番組「天外の親バカ子バカ」で藤山寛美が全国区の人気スターとなっていた。20180721_083027.jpg20180721_083113.jpg20180721_083146.jpg20180721_083130.jpg20180721_083050.jpg
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】昭和37年の中座での「笑いの王国」公演プログラム [喜劇]

手元にある、昭和37年7月の道頓堀・中座での「笑いの王国」公演プログラム。
大村崑、芦屋雁之助、芦屋小雁に加え、特別参加の佐々十郎と松竹家庭劇から石井均が出演。
豪華な顔合わせだな。
昭和33年スタートのテレビ・コメディ「やりくりアパート」が大人気となり、翌34年に喜劇作家の花登筺が大村、雁之助、小雁らと東宝から松竹に移って「笑いの王国」を旗揚げした際に佐々は東宝に残留していることから、この公演への特別参加で久々に〝崑ちゃん〟〝佐々やん〟の名コンビが復活した。
昼の部と夜の部を合わせて計8本の芝居のうち、花登が4本の作・演出を手掛けている。20180719_202055.jpg20180719_202117.jpg20180719_202133.jpg
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】昭和34年の大阪・北野劇場「ダイマル・ラケットの底抜け人生双六」公演パンフ [喜劇]

手元にある、昭和34年1月の大阪・北野劇場での「ダイマル・ラケットの底抜け人生双六」のパンフ。
出演者は中田ダイマル・ラケットを筆頭に、森光子、茶川一郎、大村崑、芦屋小雁、藤田まこと、Oスケ・Kスケ(のちの横山ノック)、脚本・香川登志緒、舞台監督・新野新と、昭和30年代の上方コメディ・ブームを支える面々が揃っている。
ダイ・ラケ、森光子、藤田まことは昭和32年スタートのテレビ・コメディ「びっくり捕物帳」で共演し、人気を博していたが、森は北野劇場の公演をたまたま観た東宝の菊田一夫に認められて同34年5月末に番組を降板。東京進出を果たしている。
20180717_143427.jpg20180717_142524.jpg20180717_142540.jpg20180717_142601.jpg20180717_142613.jpg
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】曽我廼家十吾の自筆葉書 [喜劇]

手元にある、曽我廼家十吾による自筆の葉書。
昭和25年と同29年の物で、当時の十吾は渋谷天外(二代目)と共に松竹新喜劇を率いていた。
イラストも上手いし、可愛いな。20180717_120647.jpg
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【西条昇の喜劇史コレクション】梅田コマでの「雲の上団五郎一座」のパンフ [喜劇]

手元にある、昭和50年3月の梅田コマ劇場での「雲の上団五郎一座」のパンフ。
フランキー堺が団五郎役を演じた時期の大阪公演である。
フランキー堺の他、坂本九、益田喜頓、芦屋雁之助、芦屋小雁、白木みのる、平参平、石田英二。
吉本新喜劇の平参平は大阪公演のみの団五郎一座への出演であった。20180714_094443.jpg
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】明治末から大正初めの喜劇楽天會の面々の写真絵葉書 [喜劇]

手元にある、明治末から大正初めにかけての喜劇楽天會の幹部俳優たちの写真絵葉書。
〝石に喰らいついてでも〟という題名通り、五人全員が石に喰らいつこうとするポーズをとっている。
右から徳川天華、宮島辮天、粂田通天、中島楽翁、澁谷天外(初代)。
中島楽翁はもともと桂おもちゃという大阪の落語家で、その後、曽我廼家一座で曽我廼家箱王となり、澁谷天外は改良俄の鶴家団十郎一座で鶴家団治を名乗っていた。
明治40年(1907)に松竹が京都・朝日座で箱王・団治一座を旗揚げさせ、翌41年(1908)10月公演を機に二人が改名し、劇団名も楽翁の楽と天外の天を取って喜劇楽天會に改めた。
曽我廼家兄弟一座に対抗する人気劇団となっていたが、天外が大正5年(1916)に、楽翁が同9年(1920)に世を去り、同11年に解散している。
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